2014年09月15日の記事 (1/1)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

見-15  福島市は米沢藩だったのだ!

 熊本の友人が来福したので、会津または米沢の半日観光を勧めてみた。九州人なので会津かと思いきや、彼が選択したのは米沢だった。それもメジャーな上杉神社ではなく、“上杉家の墓所”が見たいと言う。

 福島市は板倉藩三万石で幕末を迎えたが、長く上杉米沢藩三十万石の所領であり、市内のあちこちに当時を偲ぶ旧跡がある。飯坂の自宅から40分ほどで「上杉家廟所(びょうしょ)」に到着。その場所を目にした瞬間に違う世界に入った。

 上杉神社には今年でさえ三度も訪れているのに、ここに来るのは何年ぶりなのかすら分からない。ここは上杉家十二代歴代藩主の墓所である。まっすぐ伸びた杉林を抜けると十二の霊廟が見えてくる。中央が謙信公だ。たまたま我々以外の来訪者も少なく、その静寂さが自然と気持ちを引き締める。

 御堂の造りは二種類ある。八代重定公までは入母屋造り、九代治憲公からは構造が簡略化された宝形造り(写真中手前)で材質も落とされていると言う。治憲公とは、倹約令により藩の立て直しを図ったあの上杉鷹山公(成せば成る、成さねば・・・で有名、写真下)である。

 現在建設中の東北中央自動車道が平成29年に完成すると福島・米沢間が20分で結ばれる。まさに上杉藩の復活だ!福島→米沢→喜多方→会津→猪苗代→福島の周遊ルートは、歴男歴女におすすめの観光ルートになる。

  DSC_0176_convert_20140915095845.jpg

  DSC_0178_convert_20140915095914.jpg

  DSC_0155_convert_20140915095942.jpg
スポンサーサイト

?-8  親父の復権!?「日本海軍橘型駆逐艦“柿”」

 以前紹介したとおり、9年前に他界した父は海軍軍人だった。そして彼が搭乗していたのが駆逐艦“柿”。その名には軍艦らしさが感じられず、存在すら疑っていた。

 その後、ネットで存在を確認したことを話題にしたら、長男がそのプラモを入手し送ってくれた。箱の割りに中身は小さいが、まさに駆逐艦“柿”である。

 なぜか、作り方の英文が併記されている。聞くところによると、日本製のプラモデルの精巧さは世界トップで特に戦艦や戦闘機シリーズは海外で人気が高いらしい。復刻版らしいこの“柿”も海外向けなのだろう。

 第二次大戦末期、日本海軍は駆逐艦の急造に迫られた。これまで1年2~3月要したものを、最短で3月にまで短縮したと言うのだからものすごい。しかも性能を上げながらというのだから恐れ入る。

 “柿”は最も短い期間で計画された74隻のうちの1隻である(竣工したのは32隻)。昭和20年3月5日神奈川県横須賀工廠にて竣工するも、すでに活躍が期待できる海域はなく主に各地の軍港に防空砲台として配備されたらしい。そして、終戦後復員船として活躍後、賠償艦として米軍に引き渡された。

 「生前父は銃撃戦を経験したと話していたが、あれは空言だったのか?」と思っていたら、別の資料には、駆逐艦“柿”は小破の状態で終戦を迎え、とあった。確かに父は戦っていたのだ。自分の中で亡き父が大きく想え何とも言えない気分だ。(合掌)

 橘型駆逐艦14隻  柿、樺、橘、蔦、萩、菫、楠、初桜、楡、梨、椎、榎、雄竹、初梅 
 松型駆逐艦18隻  松、竹、梅、桃、桑、桐、杉、槙、樅、樫、榧、楢、桜、柳、椿、檜、楓、欅

  DSC_0168_convert_20140915054831.jpg

  DSC_0169_convert_20140915054900.jpg
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。